一期一恋
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
こんばんは。
昨日は予定通りに江戸の東隅を歩いてきました。
頼れるカメラマンが同行していなかったので、
自力で頑張ってみましたが、やっぱりどうにも(汗)
それでもぼちぼちと撮影した写真と一緒に
簡単な報告を追記に入れておきます。
何だかだるかったので10時前には帰宅しましたが、
楽しかったです。貴重な史跡でしたからね~。
実は好きだったりします、そういう闇の部分の場所って(笑)
でもお祭りの熱気に中てられたのか、今日はお疲れ気味です。
それでもまた、のこのこ出かける事でしょう。
懲りない人間なんです(爆)
拍手いただいてます。
有難うございますv
力の素です~。
★ HANAさん
こんばんは。
バトンキャッチありがとうございます。
お時間のある時にでもボチボチお願いいたしますね~。
そして中々面白くも悩ましいバトン、確かに受け取りました~。
なんというか『文字書きさん丸裸バトン』というか、
『羞恥心と戦えバトン』というか・・・(爆)
すごいですね、これ。
少し自分の過去を発掘してから、お答えさせていただきます。
気長にお待ちくださいませv
そして秋の京都でも是非、遊んでやってくださいね~。
昨日は予定通りに江戸の東隅を歩いてきました。
頼れるカメラマンが同行していなかったので、
自力で頑張ってみましたが、やっぱりどうにも(汗)
それでもぼちぼちと撮影した写真と一緒に
簡単な報告を追記に入れておきます。
何だかだるかったので10時前には帰宅しましたが、
楽しかったです。貴重な史跡でしたからね~。
実は好きだったりします、そういう闇の部分の場所って(笑)
でもお祭りの熱気に中てられたのか、今日はお疲れ気味です。
それでもまた、のこのこ出かける事でしょう。
懲りない人間なんです(爆)
拍手いただいてます。
有難うございますv
力の素です~。
★ HANAさん
こんばんは。
バトンキャッチありがとうございます。
お時間のある時にでもボチボチお願いいたしますね~。
そして中々面白くも悩ましいバトン、確かに受け取りました~。
なんというか『文字書きさん丸裸バトン』というか、
『羞恥心と戦えバトン』というか・・・(爆)
すごいですね、これ。
少し自分の過去を発掘してから、お答えさせていただきます。
気長にお待ちくださいませv
そして秋の京都でも是非、遊んでやってくださいね~。
先日群馬の友人が「どうしても、桜鍋が食べたい!某有名店で!」
と騒ぐので、土日限定のランチを食べに行く事にしました。
店の場所を確認しようと地図を見たら、目の前の交差点の名前が
『吉原大門』
「よ、よしわら? よしわらおおもん? え? ええっ??」
改めて必須アイテム “江戸東京散歩” の該当場所古地図を
開き色々調べたところ、ここってあれこれ面白い・・・(むふっv)。
そんな訳で友人と待ち合わせる前に、少々周辺散策をしました。
まずはJR南千住駅のすぐ隣です。
小塚原(こづかっぱら)回向院。
江戸時代、西の鈴ヶ森、東の小塚原が府内の二大刑場でした。
寛文7年(1667)に江戸の東の玄関口であるこの場所に、
行き倒れ者や刑場での仕置き者を供養する為、両国回向院の
別院として建立されたお寺です。
長州の思想家、吉田松蔭のお墓です。
安政の大獄で処刑された彼の遺骸は後に高杉晋作らに
よって松蔭神社に改葬されているそうです。
福井藩士、橋本佐内のお墓。
そ、そんなに大物だったのですか? と、失礼ながら
目が点になりました。
後でゆっくり調べさせていただこうと思いました。
そしてJRの高架下を潜った線路と線路の間に
ぽつりと存在するのが延命寺。
本来は小塚原回向院内にあったものですが、
線路で分断された為昭和57年に独立したとの事。
小塚原お仕置場(刑場)はこの寺の敷地内にあったそうです。
身の丈一丈二尺(3.6メートル)
首切り地蔵と呼ばれるこの大きな地蔵尊は
27個の花崗岩のパーツから作られています。
寛保元年(1741)刑死者の供養の為に建立されました。
別名『延命地蔵』だそうですが、延命って・・・ナゼ?(汗)
地蔵尊の足元には左右に幾つもの石仏が並べられていました。
お百度石。
大正時代のものですが、恐らく以前から
あったものを建て替えたのではないかと。
刑場として使われなくなった後、この大きな地蔵尊に
延命を願った人々が、お百度を踏んだのでしょうか。
この後、浅草方向へと吉野通りという大通りをてくてく歩き、
途中で右折すると土手通りにぶつかります。
そこが吉原大門交差点。その角にあるのが“見返り柳”。
吉原遊郭の入り口にあったというその柳は、遊女との一時を
忘れきれない男達が後ろの遊郭を見返り見返りして帰っていった
という話から名付けられたそうです。
が、何代目かのその柳、あまりに寂しげに弱々しいものでした(汗)
遊郭の入り口の道は始め左に、次は右にと歪曲していて
遊郭内部が見えない構造になっているそうです。
いまも道路はそのままに蛇行してました。
過去の吉原遊郭の中央通りをズカズカ歩いていくと
左右に連なるのは、やはりお風呂関係のお店で・・・。
「サービス料込み20.000円v」などという看板が
ドーン! と佇んでおりました(苦笑)
やっぱり吉原・・・。
そんな中、ぽつんと道路に置かれていた吉原町の太鼓山車。
三社祭に出る各町の御神輿に付随して
曳いて歩くんだろうなぁ、とパチリ。
そのまま旧遊郭の所在地をズカズカッと
抜けた先の右手に“吉原神社”があります。
こちらも三社祭の準備で大騒ぎ。
狭い境内にあまりに人が詰まっていたので、残念ながら
中に入れず創建などを確認できませんでしたが、
どうやらこちらはお稲荷様を祀っているらしいです。
やはり商売人の町ですから、稲荷信仰になるのだと納得。
子供神輿の準備で大騒ぎ。
境内に入ろうにも、隙間無し。
でも子供より大人の方がボルテージが高かったような。
吉原神社の少し先。
吉原弁財天が祀られている一角があります。
そこにこの“花の吉原名残の碑”が立っています。
吉原弁財天の石碑。
社は金網で囲われていました。
かなり古びたものなので、史跡保存の為かもしれませんが、
どうにも見栄えが・・・。
この敷地内には関東大震災で犠牲になった娼妓への
供養塔もあり第二次大戦後まで綿々と続いていた
娼館の女性達の悲哀が伝わりました。
静かに合掌。
と、そんなしみじみ感を吹き飛ばして、来た道を戻り友人と合流。
吉原大門前、桜鍋の店です。
前菜、佃煮・ユッケ・馬刺し。
ちなみに『馬力をつける』という言葉は、遊郭へ向かう男達が
この区域にあった店で桜鍋を食べ精力をつけた事から
出来た言葉とか。
本当ですかね(汗)
メインの桜鍋~!!
味噌仕立てでご飯のお供にとてもよく合いました。
美味しかった~v
脂肪の少ない赤身の肉は当時の日本人向きですよね。
確かに馬力がつきそうです(笑)
オマケの三社祭風景。
浅草寺の境内から出発するお神輿です。
なんというか・・・人人人?
結局、浅草寺へ連れて行かれたんです。
人が多いから嫌だって言ったのに・・・しくしくしく・・・。
街のどこに行ってもハッピや褌姿の方々がいました。
街を挙げてのお祭りなんだな、と実感。
でも人の多さに刻々と体調が怪しくなり、早々に浅草を離脱。
この後は上野をぷらぷらし、友人のリクエストで浅草橋まで戻って
ビーズの店を覗いたり・・・。
最後は御徒町で飲み会でした。
料理も美味しかったし、楽しかったです。
午前中の史跡巡りも午後のドタバタも退屈無しで満喫しました。
群馬と神戸の友人とも、久々に喋り倒せたし。
下町の端っこ放浪の1日は、充実した1日でしたよ~。
と、こんなダラダラ報告を読んでくださった方、
ありがとうございましたv
PR
最新コメント
つなび
カテゴリー
カレンダー
01 | 2025/02 | 03 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | ||||||
2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 |
9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 |
16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 |
23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 |
プロフィール
HN:
海辻那由
HP:
性別:
女性
趣味:
読書・植木いじり他
自己紹介:
お酒が好き。でも味より酔うのが好きだから、専ら家で飲むのが主。
打たれ弱い根性無しでスプリンタータイプ。
短期での集中力は周囲も認めてくれるけれど、コツコツと長期での努力は無理。なのでダイエットに成功した事はありませぬ。
打たれ弱い根性無しでスプリンタータイプ。
短期での集中力は周囲も認めてくれるけれど、コツコツと長期での努力は無理。なのでダイエットに成功した事はありませぬ。
最新トラックバック
ブログ内検索