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こんばんは。
一昨日もお会いしたばかりですが、奈鳩さんとお出かけしてきました。
三井記念美術館へ 『徳川家康の遺愛品』 という展覧会を見に。
徳川ゆかりの展示というのは今までにも何度か見てますが、
ほぼ『将軍家』や『ご一門』という高貴さを漂わせる綺羅綺羅しい品。
今回は一大名の時代が強く身に残っている家康個人の遺品だからか、
比較的質素で視覚的にも落ち着いた展示品が多かったです。
展示品に関しての詳細は、いつも通り奈鳩さんに丸投げします(爆)
私としては印象深かった一つの屏風に関して。
『関ヶ原合戦図』、別名津軽屏風という八曲一双の大きな屏風。
津軽藩主、津軽信牧の正室となった満天姫が、養父家康に懇願して
その屏風を貰い受け、嫁入り道具として婚家に持参したのだと
説明書きがありました。
以前もブログで書いた事がありますけど、津軽信牧にはすでに
正室がいましたが、徳川の養女との縁組を押し付けられて
その正室は側室へと降格。
そして江戸屋敷にも津軽の地にも置く事ができず、埼玉にあった
津軽藩の飛び地の領地に住まわされる事となりました。
その降格された元正室が、関ヶ原で家康に敗北した石田三成の娘。
その屏風を家康に乞うたのが満天姫の意思なのかなど判りませんが、
あまりに強烈な嫌がらせ・・・と、私は感じました。
嫁いだ後の満天姫は津軽家のために細々と心を砕き、良き妻だった
らしいですが、何だか女の怖さにゾゾッとしたのですよ。
屏風自体は奈鳩さんとも「描かれている兵達が生き生きしてて、
素敵な屏風だね~」 と感心したんですけどね~。
頭の中は「脅しか?嫌がらせか? 元正妻と亭主のどっちにだ?」 と
そんな事を考えてました(苦笑)
他にも色々興味深い展示品はありましたので、それは奈鳩さんの所で。
三井美術館の後はランチを食べて、駅まで行く途中で島根と奈良の
物産館に引っかかり、みたらし団子を3本ずつ食し、港区郷土資料館で
徳川関連の展示会図録を購入し、展示品を見~の、発掘された土器を
『じかに』触らせていただき~のとホクホクしつつ、泉岳寺まで足を伸ばし
四十七士墓参の後、境内で浅野内匠頭を全力でこきおろし(バチたかり)
帰宅したのは5時半です。
あ~、今日もよく動き回ったわ~(笑)
日差しがあまりに強くて思いっきり日焼けしたけどね(ひりひり)
でも久々の展示会、とても楽しゅうございました。
拍手、いただいてます。有難うございますv
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打たれ弱い根性無しでスプリンタータイプ。
短期での集中力は周囲も認めてくれるけれど、コツコツと長期での努力は無理。なのでダイエットに成功した事はありませぬ。