一期一恋
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こんばんは。
涼しいを通り越して“寒い”千葉県北西部です(ニコニコニコ)。
で、今日は久々に歴史小話でもしてみようかと。
大河を見ていると時々ウィキってみる事があります。
「この人はこの先どうなるのかなぁ~?」 って感じで。
けっこう前に石田三成を調べていた時の『へぇ~~~』。
三成の娘、振姫は八歳の時に父を関ヶ原の戦いで亡くし、
その後秀吉の正室高台院の養女となります。
十年後ぐらいに弘前藩二代目藩主、津軽信枚へと嫁ぎます。
この津軽家には早世した信枚の兄と小姓仲間だった縁で、振姫の兄も
匿われて暮らしていました。
罪人の娘とはいえ信枚との仲は実に良かったと伝わります。
ですがその三年後に幕府の命で信枚が家康の養女を妻とする事になり
振姫は正室から側室へと降格。
それまで住んでいた江戸の表屋敷を出て、津軽藩の飛び領地だった
群馬の大舘に住むようになります。
でも参勤交代のたび信枚は振姫の元に寄り、変わらずに仲は睦まじく
6年後に姫は信枚の長男を出産。でもその4年後に病死したという事です。
振姫という正室がいるにも関わらず、養女との婚姻を押しつけた幕府の思惑は
東北に近しい勢力を作りたかったからだとか、三成の娘を正妻にしている
信枚の幕府への忠誠を試すためだった、などこのあたりまではウィキれば
ざらざら出てきます。
でも、もうちょっと調べると色々な思惑が錯綜しているような気がするのです。
そのあたりは追記の拍手お返事の後ろで語ってみたいと思います。
拍手、いただいてます。有難うございますv
涼しいを通り越して“寒い”千葉県北西部です(ニコニコニコ)。
で、今日は久々に歴史小話でもしてみようかと。
大河を見ていると時々ウィキってみる事があります。
「この人はこの先どうなるのかなぁ~?」 って感じで。
けっこう前に石田三成を調べていた時の『へぇ~~~』。
三成の娘、振姫は八歳の時に父を関ヶ原の戦いで亡くし、
その後秀吉の正室高台院の養女となります。
十年後ぐらいに弘前藩二代目藩主、津軽信枚へと嫁ぎます。
この津軽家には早世した信枚の兄と小姓仲間だった縁で、振姫の兄も
匿われて暮らしていました。
罪人の娘とはいえ信枚との仲は実に良かったと伝わります。
ですがその三年後に幕府の命で信枚が家康の養女を妻とする事になり
振姫は正室から側室へと降格。
それまで住んでいた江戸の表屋敷を出て、津軽藩の飛び領地だった
群馬の大舘に住むようになります。
でも参勤交代のたび信枚は振姫の元に寄り、変わらずに仲は睦まじく
6年後に姫は信枚の長男を出産。でもその4年後に病死したという事です。
振姫という正室がいるにも関わらず、養女との婚姻を押しつけた幕府の思惑は
東北に近しい勢力を作りたかったからだとか、三成の娘を正妻にしている
信枚の幕府への忠誠を試すためだった、などこのあたりまではウィキれば
ざらざら出てきます。
でも、もうちょっと調べると色々な思惑が錯綜しているような気がするのです。
そのあたりは追記の拍手お返事の後ろで語ってみたいと思います。
拍手、いただいてます。有難うございますv
★naoshiさん
こんばんは。
あはは、あの事に関してはお気になさらず。みんなそんなものですから。
ただ後で気づくより良いかなぁ~、って思っただけですv
それより私はお風呂場に出没するヒルが恐ろしいとビビッてました。
虫やら何やら駄目なんですね本当に、頑張ってください(汗)
ビールは凍らせると破裂する、と聞いていたので冷凍庫などに入れた事は
無かったんですけど、今回は盲点でした。
「昔の薬湯ってこんな感じだろうか?」って一瞬遠い眼になりました(爆)
お仲間だったなんて笑えます~。
『北に~』は本当に初期の話なので、手を入れなおしたい所もありますが
過去の恥を残しておく事も必要かと放置の羞恥プレイ。
でも気に入ってくださって嬉しいです。これからも頑張りますね~。
細々としたコメント、ありがとうございましたv
★あんちゃんさん
こんばんは。
はじめまして。恥かしいようなお褒めのお言葉を、ありがとうございます。
まだまだ至らない未熟者ですが、このように励ましていただけると
「ガンバロー!」と思います。
これからも自分の書ける範囲で、ぼちぼち書いていこうとおもってますので
長い眼でのんびりお付き合いくださいませv
******************
【津軽の続き】
さて、振姫視点で見ると「ナンだよ幕府は! 後釜に座った女も図太いなぁ」
なんて斜め目線で見たくなりますが、こちらの姫君もまた色々あるのです。
この姫、家康の養女ですが父は家康の異父弟。名前は満天姫といいます。
実は初婚は福島正則の養嫡子正之ですが狂疾の疑いで幽閉。
満天姫はお腹に子が居る状態で江戸に戻り、そのまま津軽へ嫁ぎます。
そして振姫が長男を出産した翌年に江戸の上屋敷でこちらも男児を出産。
でも信枚の強い乞いを受け、嫡子は振姫の子とする事に同意し、幕府にも
働きかけて決定。
後に津軽藩に引き取られていた福島正之の息子が、取り潰しになっていた
福島家再興を幕府に願い出ようとすると、津軽藩の立場が悪くなる事を
懸念して毒殺してしまうという、ある意味烈女(汗)
でも夫信枚の死後、人質として江戸にいる必要のなくなった満天姫は
津軽へと赴き、その地で生涯を閉じる事になります。
と、これもウィキが出典元。
さて、裏読み。
まずは振姫が移された群馬県の大舘ですが、江戸に置くのも津軽へ
置くのも幕府の目を憚っての苦肉の策だっただろうと思いますが、
この場所のすぐ傍に『満徳寺』というお寺があるのです。
江戸時代にたった二つだけ許されていた縁切寺だったりします。
「夫信枚を思うなら、考えてみそ?」 という津軽家臣と幕府の重圧を
そこはかとなく感じたりしたりして・・・(苦笑)
で、一番色々思うのは信枚って殿様は人間的に優れていたんじゃないかと。
帰る実家が無いとはいえ正室から側室へと降格させられた振姫は
さぞ耐え難い思いをしたはずです。でもしっかり支えて守ってみせた。
満天姫にもお腹の子ごと細やかな気遣いを見せたからこそ、
自分の子を差し置いて振姫の生んだ子を跡継ぎとして認められた。
う~~~ん、もっと色々調べてみたい男性ですよね。
んで、いつか書きたい(笑)
家康が信枚を満天姫の夫に選んだのは彼を認めていたからかなぁ、とか。
元々幕府としては豊臣恩顧の福島家を取り潰すつもりだった事は
周知の事で、そんな家へ嫁がせた姪の再嫁相手はそれなりに頼れる相手を、
と思った事もありえます。
もちろん三成の娘が大名の正室になっている事へ反感もあったでしょうが、
それでも後に津軽藩の国替えの話が出た際には、満天姫の嘆願を聞いて
黒衣の宰相天海僧正が強力に津軽藩を後援し、その話を潰しています。
そのあたり、家康の意を汲んでいたんじゃないかなぁ、と思ったりして。
廃絶した福島家の血を引くものを本領だった西国からはるか遠い
津軽の地へ追いやっておきたかった、という幕府の意図も
見えなくもないですし。
情絡みにも非情にも見える津軽信枚を巡る妻達のお話。
あれこれ調べると実に興味深いものです。
だらだらした話にお付き合いくださった方、ありがとうございました(礼)
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プロフィール
HN:
海辻那由
HP:
性別:
女性
趣味:
読書・植木いじり他
自己紹介:
お酒が好き。でも味より酔うのが好きだから、専ら家で飲むのが主。
打たれ弱い根性無しでスプリンタータイプ。
短期での集中力は周囲も認めてくれるけれど、コツコツと長期での努力は無理。なのでダイエットに成功した事はありませぬ。
打たれ弱い根性無しでスプリンタータイプ。
短期での集中力は周囲も認めてくれるけれど、コツコツと長期での努力は無理。なのでダイエットに成功した事はありませぬ。
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