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こんばんは。
一昨日のお勉強会の時に話題に出た試衛館一派の事。
少し前の時にある方が
「井上源三郎はあまり注目されないが、剣の腕は超一流だったはず」と
語っていた事からの考察です。
試衛館時代、師範は近藤、師範代は沖田、でも井上の方が沖田よりも
入門時期は早いので兄弟子にあたります。
近藤は道場主、沖田の腕は天才的という事で、この二人に関しては
剣技は別格として。
試衛館派に所属していた永倉、原田、藤堂は食客という名の客分。
山南は当初は食客でしたが後に天然理心流に入門し、多摩への出稽古
にも出向いたと記録が残ってます。
ただ井上が出稽古に行った形跡が無い。
多摩は井上にとっても郷里ですから剣の腕がそれなりであれば
多忙な近藤、教え方が荒く門人に敬遠されていた沖田の代わりとして
出稽古に行くのに相応しい立場。
それを天然理心流に入門したとはいえ、北辰一刀流の免許皆伝という
他流派の色濃い山南を、あえて行かせるって事が井上の剣技の程度を
語っているんじゃないかなぁ、と思うのですよ、私は。
もちろん二流だったとは思ってません。
いくらなんでもそんなナマクラな腕だったら、近藤達にしても新選組の
組長なんて任せなかったでしょうし。
ただ「八王子千人同心だった兄の松五郎同様に、源三郎の腕も超一流
だったはずだ」という推論には否定的だって事で。
ちなみにお勉強会では試衛館時代の序列の話も出たのですが、
食客連中は別として。
近藤・沖田・井上・山南・土方、という序列だっただろうと。
入門順では沖田よりも井上の方が先ですけれど、近藤の後継として
師範代を勤める沖田の方が道場では上。
ただ総合的には入門時期や沖田が井上分家の血族だという事実から
(源三郎は本家)、沖田と井上の順位は入れ替わります。
ちなみに土方は剣技でも身分でも山南の下に位置していたのは確定。
そんな事をベースに考えると、一枚岩に見える試衛館派の中にも
色々な感情があったように思えてきませんか?(笑)
拍手、いただいてます。有難うございますv
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打たれ弱い根性無しでスプリンタータイプ。
短期での集中力は周囲も認めてくれるけれど、コツコツと長期での努力は無理。なのでダイエットに成功した事はありませぬ。